『ウォーキング・デッド』『アイアムアヒーロー 』はなぜ失速したのか

 この一週間でゾンビドラマの『ウォーキング・デッド』のシーズン7が終わり、ゾンビ漫画の『アイアムアヒーロー』の最終巻が発売されました。
 両作品とも当初は絶賛の嵐ながら長きに渡る展開でじょじょに失速。特に『アイアムアヒーロー』は終わり方も微妙で酷評の声も。

 というわけで今回は、ゾンビもののセオリーから長期のゾンビ作品をどうすべきかを考えていきたいと思います。
 実はだいたいのゾンビ映画は下記のような四段階の展開になっていきます。いわばゾンビ映画の起承転結です。

 ゾンビ発生(認知) → ゾンビの脅威 → 人間の暗部 → ゾンビ克服

 起の”ゾンビ発生”は物語のスタートです。ゾンビの発生か既にゾンビが発生している世界の紹介が描かれます。
 承の”ゾンビの脅威”はゾンビが活躍し、怖さが引き立つパートです。
 ゾンビの一つの肝といえるのがこの転の”人間の暗部”です。ゾンビによって社会が崩壊したり登場人物達がピンチに陥る中で、人間の醜い部分や狂気がクローズアップされていきます。
 そして物語の終幕の結で登場人物達はゾンビを克服し一応の解決が見られます。ただし、ゾンビ映画ではゾンビ全体を駆逐するまで行かない物語も多く、とりあえずの脱出であったり、主人公の成長をもって克服とする物語も多く見られます。

 ゾンビ映画の祖である『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のリメイクを例に当てはめてみましょう。
 突如発生したゾンビに主人公の女性は兄を殺され、必死に逃げ惑い小屋に迷い込みます。ここまでが起と承のゾンビ発生と脅威です。やがて、物語の中心はゾンビそのものよりも立て籠もった人々の不和へと移っていきます。これが転の人間の暗部。そしてラストにかけて仲間割れを経て主人公は何とか脱出します。朝になり人類もゾンビを駆逐し、とりあえずの平穏が訪れます。これが結のゾンビの克服です。 
 

 ゾンビの起承転結が最もうまく描かれているのが、ゾンビ発生から克服までを人々の証言で振り返る原作版『WORLD WAR Z』でしょう。
 ゾンビの発生と脅威、既存のシステムや慣習から抜け出せず苦境に陥る人類と描いていき、最後にはゾンビに柔軟に対応しゾンビを克服していくへとストーリーは流れていきます。

 難しいのは長い作品となった時のこのゾンビ起承転結の使い方です。
 ゾンビの脅威や人間の暗部という承や転をそれぞれ長く描くか、承と転を繰り返し描いていくような形で話を進めていくはずです。ただし、どこかで少しずつゾンビか何かを克服していく結に近づいていかなければいけません。
 『アイアムアヒーロー』は転の人間の暗部という部分でクルスというダークヒーロの様な存在を描いていきます。しかし、いかんせんここが長すぎました。クルスやその周辺の人物の物語が長引き、一応最後には主人公の英雄と絡むとはいえストーリーがグダグダになってしまいました。
 『ウォーキング・デッド』も同じようにシーズン3でガバナーという人間の暗部を象徴するかのようなダークヒーローを出し、ストーリーにおける転の要素が強まっていきます。『ウォーキング・デッド』の場合は転を繰り返すようにさらにシーズン6からニーガンという別のダークヒーローを出し、転を何度かやることでストーリーを長く続けていこうとします。
 ただ、こちらも転が繰り返されているだけという印象を抱いてしまいます。キャラクターとしてのニーガンの魅力どうこうという以前に全ストーリーの中のニーガンの位置づけが見えてこないのです。
 どちらのゾンビサーガも、転が長すぎて物語の結末につながる要素も見えてこないので中だるみしてしまったように思えます。確かにゾンビの中で人間の暗部を描くのは最もその作品の面白さが出るところです。ですが、そこに最後の結につながる工夫がなくダラダラと続くとダレてしまいます。

 ゾンビで長編をつくるという試みは大変に素晴らしいので、終わってしまった『アイアムアヒーロー』は仕方ないとしても『ウォーキング・デッド』は頑張ってほしい。

Share Post :

More Posts