衆院選2107とは何だったのか

 改めて意味の分からない選挙だった。以下、結果考察。

 自公は圧勝した。ただ、野党第一党が立憲民主党になったこと、維新や希望といった自民党に近い思想の野党が大敗したこと、小選挙区で野党の合計を下回った(つまり野党統一がされていれば負けていた)与党候補者が多かったことなどから、数字よりも政権は好きなようにやれないことが予想される。来年の自民総裁選も安倍一択とはならないだろう。
 野党は希望の党が大失速し、立憲民主党が大躍進。希望の党は排除のイメージが悪影響し、立憲民主党はぶれなかったイメージが功を奏した。だが、枝野代表が「立憲民主党は護憲ではないし、日米同盟堅持だ」と話していたのに社民や共産が選挙協力していたことは何だったのか。共産や社民を軟化させ政権を狙う一大勢力となるか、確かな野党路線に行くのかが今後の分岐点。後者の場合は二大政党制の小選挙区制なのに一個しか大政党がないという最悪の事態に陥る可能性が高い。

 
 今回興味深かったのは、東浩紀さんの積極的棄権の署名活動だ。
 これは投票の棄権を呼びかけるものではなく、投票に関係なく政治家の身勝手な行動に怒りを表明しようという署名活動だった。にも関わらずネット上では選挙の棄権を呼びかけるとは何事かと炎上。その中には著名人も多かった。 

 ここまで投票の棄権というものに過剰反応する人が多いのかと驚いたが、その人達には一つの視点が欠けていたと思う。

 その視点を述べる前に、私が選挙前に争点としていたものを再度あげたい。それは分断だ。ブレグジット、トランプ誕生に続いて行われる選挙の中で、各政党がいかに分断しない選挙戦をできるかが最も重要な争点だと私は書いた。

『消費税でも9条でもない 衆院選2017年の真の争点はこれだ!』

 結果は与野党共に散々なものであったことはテレビ等を見ていただければ分かることだと思う。それ以前に、名前連呼の街宣、ドブ板と日本の選挙選はいつも疑問符がついていた。
 
 ちょうど選挙の日、恩師と話す機会があり、保育の話を前にしたことからある疑問をぶつけた。その疑問とは「私達日本人はなぜ保育を幼児教育の場ではなく子どもを預かる場だと勘違いしたのか?」だった。
 ヨーロッパでは保育は幼児教育の機能として重視されていて、90年代にスウェーデンでは保育の無償化を始めている。
 

 「陳腐かもしれないが」と断った上での恩師の回答は「日本にはまだ民主主義が根づいていないのではないか。ヨーロッパが何百年とかけて変化したものを急激な変化の中でやってきているから」というものだった。
 直接政治と関係ない対話だったが、なんという偶然か。そう、選挙の棄権に過剰反応する人達に欠けている視点はこれなのである。
 日本の民主主義はまだまだ途上なのだ。もちろん投票には行った方がいいに越したことはないが、選挙や政治と社会のつながり、いや、それ以前に意見をすりあわせていくという思考やコミュニケーションなど、日本には民主主義の前提となるものがまだまだ育っていないのだ。
 大事なのはそれを長い時間をかけて育てていくことであり、目先の選挙の結果や投票率ではないはずだ。

 そういった意味で、今回の衆院選のMVPはとよた真由子候補に送りたい。
 議員中の彼女の行動には全く賛同できないが、選挙運動中の彼女の行動には一つだけ心を動かされるものがあった。大半の大人がそっぽを向けているわりに騒動によって子ども人気だけが上昇してしまったからということもあろうが、選挙活動中のとよた真由子候補は子ども達の呼びかけに応え、子ども達と写真を撮ったり対話をしたりという時間を多く取っていた。
 目先の当落には関係なくても、未来を見据えた行動をする。あのとよた真由子候補の行動こそが今回の選挙で多くの政党が示すべきことだったと思う。

 そう考えると、今回の選挙は希望の党というヘンテコな名前の政党が出て、あの政党はスター・ウォーズに例えると『新たなる希望』というより『ファントム・メナス』ではないかと思ったりもしたが、今回の選挙自体は新たな希望の芽を探すものだったのかもしれない。

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