日本のリベラルはなぜ壊滅したのか

 きっかけは恩師である精神科医からの疑問だった。
 日本はアメリカに戦争で負けたのに、なぜそれ以降の日本の政治はアメリカにベッタリなのか。なぜここまで綺麗に心変わりができたのか。そこに精神分析的な無意識の理解が必要ではないか。 
 去年から今年にかけて『戦後政治の昭和天皇――〈憲法・安保体制〉にいたる道』と『 吉田茂と岸信介――自民党・保守二大潮流の系譜』という二冊の本を読んで、この日本の政治の無意識が少しだけ分かったような気がした。
 これは実はここ数年の安保法制を巡る動きや小池百合子騒動によるリベラルの大失速ともつながっている。

 無意識とは少し違うが、前提条件が間違っているということがある。戦後日本の政治を考える上でここが大事になってくる。
 日本は対米従属と言える。これを否定する人は少ないだろう。では日本は対米従属と何の二択から対米従属を選んでいるのだろうか?
 これを考えるには平和憲法の誕生を振り返る必要がある。日本国憲法の平和主義、つまり軍隊を持たない国という理想が誕生した時、それを想定した人達はただ軍隊のいない国だけを想像したわけではなかった。二度の大戦から世界は学び、強い国連ができると考えていた。つまり軍隊を持たない国は強い国連とセットだった。
 だが、世界情勢に詳しく聡明な昭和天皇はそうは考えなかった。米ソの関係は破綻し国連は弱まり、世界はアメリカ陣営とソ連陣営に二分されると、昭和天皇は終戦直後の段階で冷戦を予見していたのだ。
 で、あるならば平和憲法とセットになるのは強く国連ではない。対米従属か対ソ従属のどちらかだ。ソ連はない。そこで昭和天皇は平和憲法と対米従属をセットとした国の形を選択し、自身が元首でも象徴でもない短い時期に影に動き、国の形のをつくった。

 対米従属の反意の言葉はその後、もう一つ生まれた。
 昭和天皇が形づくった戦後日本は吉田茂ら戦後になって表舞台に躍り出た政治家達が発展させていった。
 それに異を唱える一団が現れた。戦犯として戦後すぐに政治活動ができなかった岸信介らだ。彼らは戦後日本を受け入れられなかった。だから憲法を改正したがった。そして、もう一つ、アメリカとの関係にも変化を起こしたがった。といってもアメリカから完全に自立することはできない。彼らは少しでもアメリカとの関係を対等な関係へと変えようと思った。自立軽視経済優先の吉田茂とは真逆の思想だ。
 対米従属の対立軸として生まれた対米対等。日米安保はまさにその産物だ。以後、日本は吉田茂と岸信介の対立が、特に近年は岸信介の対米対等、戦後修正が無意識的に影を落とすことになる。

 対米対等は不思議な対立相手を生んでしまった。それが護憲を最重視する日本のリベラルだ。
 一昨年の集団的自衛権も対米従属で考えると理解できないが、対米対等で考えるととてもよく理解できる。そこには軍国化するとか変な野望はない。一方的にアメリカに守られる関係が嫌なだけなのだ。利益も何もない。あるのは無意識を満たす満足だけだ。
 集団的自衛権を巡る対立は不思議だった。法案を通そうとする方は様々な例示をしてその法案の有効性を述べるが、どれも現実的ではなかった。反対するリベラルもこの法案は将来こうなる危険性があると反論した。どちらも現実ではない部分で持論を述べていた。
 日本のリベラルは平和憲法を脅かしそうなものに過剰に反応する。だが、彼らの平和憲法は何かとセットでないので、その立ち位置は定まっていない。
 問題はそれだけではない。彼らは相手の対米対等願望を把握していない状態で反対しているので、反対が成立しない。
 さらに悪いことに対米対等は無意識的に強く存在する悲願なので、相手は強固な意思で押してくる。それに対抗する為にリベラルも何だか分からないままに強固な意思で反対するしかない。
 こうして、日本のリベラルは本来のリベラルが第一にしている福祉の充実や個人の権利の尊重に対して欧米のリベラルより弱いイメージができてしまった。相手の無意識につきあって反対して、頑なに徒手空拳の平和を唱えるイメージが強くなってしまったのだ。
 その結果、日本では保守とリベラルという対立ではなく保守と革新という対立軸が標準になってしまった。護憲、平和主義のリベラルは政権の中に入ったことはあっても、その文脈で入っているのではなく、革新勢力の一部として入っているだけだった。
 日本のリベラルは元々大きな勢力など得ていなかった。民主党(民進党)は日本的リベラルではなく、日本的リベラルも属してる革新だったのだ。今回の小池百合子騒乱で、民進党のリベラルが弾き出されたことでそれがはっきりした。

 ではどうなっていくのがいいのか。
 一つは日本的リベラルは日本的リベラルで結集するのがいいだろう。
 だがそれより有効なのは、本来のリベラル勢力を整理することだろう。対米対等自立という保守の無意識に反応し過ぎるすることなく、社会保障の充実を基軸とした高負担高福祉の政策を唱える従来のリベラル勢力をつくっていくことが、二大政党時代としては望ましいと考える。
 日本のリベラルは亡霊を相手にし過ぎているのだ。

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