体罰とは存在しないものである 世田谷、日野皓正騒動から考える

 日野皓正の体罰騒動では先日あった保坂展人区長のコメントが本当に残念なものでした。

「ギリギリ体罰ではない」保坂展人・世田谷区長、 日野皓正さんの“往復ビンタ”で見解

 保坂区長は「体罰はあってはならない」とした上で日野皓正さんの行動を「ギリギリ体罰ではない」と評しています。これでは髪をつかんでピンタをしようとした行動を容認したととられても仕方ありません。
 保坂区長のコメントは何が悪かったのでしょうか。それは体罰は”あってはならない”ではなく”存在できない”ものという視点でなかったからです。
 教育における暴力は効果がどうかという以前にあってはならないものという共通認識のもとに私達は生きているはずです(実際はそうでない人も多いですが)。で、あるならば教育の中での暴力は存在しないのであって、体罰という名称自体が必要ありません。もし、学校で先生が生徒を殴れば、それは正当防衛等を除けばただの暴力なのです。そこに教育ゆえの特別な暴力はありませんし、それの名称も必要ありません。
 

 保坂区長のギリギリ体罰でないという否認の仕方は、いじめはなかったとするテレビでよく見る学校の言い分と似ています。
 体罰もいじめもその言葉があることによって、事件の中でそれがあったかどうかという基準での判断が生じ、そのことで返って被害者が嫌な思いをしてしまうことが多くあります。体罰もいじめも存在としてなしにするか、もしくは言葉の意味を再定義する必要があると私は考えます。

 私はいじめについては現在の行為をいじめとする定義から、暴力等の行為が許されてしまう空気のことをいじめと再定義する方がいいと考えていて、近くそれをまとめて電子書籍にする予定です。

 追記。
 と、ここまで書いた段階で確認したら衝撃の展開が。
 保坂区長は自身のブログで「ギリギリ体罰でない」といったニュアンスの言葉は一切使ってない! 
 体罰でないとするより体罰の定義どうこうでなく問題行動があったので今後は改めてもらうよう要請したと。このスタンスでいいと思います。後は「ギリギリ体罰でない」発言はきっちり訂正をした方がいいかと。
 この記事読んでああと思ったのは、少年は興奮状態ではたかれた時の記憶があんまりないんだとか。。。ジャズってすごいっすね。。。

日野皓正さん校長のドリームジャズバンド発表会をふりかえって

Share Post :

More Posts