ゲンロンカフェ「常磐線中心主義」で考えたブランドとコモディティ

先日、ゲンロンカフェで行われた「常磐線中心主義」刊行記念イベントに行ってきて、著者の五十嵐泰正さん、開沼博さん、小松理虔さんのお話を聞いてきた。

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その中で特に印象に残ったのはコモディティとブランドの話だ。コモディティとは何か。単語の説明するより、小松理虔の実例が分かりやすい。
実は福島県はかまぼこの生産量が全国一位なのである。しかし、他県どころか福島県でもそれを知ってる人は少ない。日本の食を支えているのに、その実が多くの人に見えておらず誇りを感じにくい。個性の少ない普通の仕事。それがコモディティだ。
この逆がいわゆるブランドである。顔や名前が見える生産業。名前が知れた名産品もそうだし、消費者に直接届ける小規模農業などもそうだ。オンリーワンで生産者に自分達がつくっているという強いプライドを生じさせる。
小松理虔さんは福島のかまぼこのブランド化を目指していたのだと言う。しかし、最近になって少し方向転換したらしい。
確かにブランドになればそれはすごいことだ。だが私達消費者が消費してる物のほとんどはブランド品ではなく、コモディティだ。考えてみればコモディティだってすごいはずだ。ブランド化するのではなく、コモディティでプライドを持てるようになることもまた一つの道ではないか。
そんなことを小松理虔さんは言っていたように思えた。

イベント後の小松理虔さんのツイートがこれ。

 面白いことに昨日、同じようなツイートをした人がいた。それは家入明子さんだ。お二人は親交があるそうなので偶然ではないかもしれない。

このコモディティとブランドというのは個人の仕事や生き方にも言えるのではないかと思う。
競争の勝者になったりオリジナリティを発揮することが求められ、もてはやされている。確かにそれはすごい。でも実際は普通の仕事や生き方というのもけっこう重要で、そこを忘れてはいけないんじゃないか。
ブランドな生き方というのはコモディティな生き方という土台の元にこそあるんじゃないか。コモディティな自分を認めるということは今の社会を生きる上でとても重要なんじゃないかと感じた。

私がリバ邸で実現したいことも、住問題で困ってる人が普通にシェアハウスで生活するというコモディティと、そこで起業とかなんか面白いことやりたい人はやるというブランドとの両立なのである。

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