全リバ邸関係者必見? 江戸のかけこみ寺へ行ってきた。。。

 リバ邸入間も年度末に閉鎖ということで、現代の駆け込み寺というキャッチコピーなのだからと元祖かけこみ寺である北鎌倉の東慶寺へ行ってきました。
 なんと駅にかけこみ寺と書いてある! さすが大先輩です。

 残念ながら、現在の東慶寺にはかけこみ寺だった頃を伝えるものはほとんどありません。
 もらったパンフによると、東慶寺は元寇で有名な北条時宗の妻、覚山志道尼が1285年に建てたもので、当時から駆け込めば離婚ができるという女人救済の寺として機能していました。
 その後、江戸時代に豊臣秀頼の娘である天秀尼によって縁切寺法を江戸幕府に認めさせ、公的にかけこみ寺となりました。これによって、駆け込んで来た女性達は寺で生活しながら寺社奉行によって離婚のサポートを受けられることになったのです。
 このへんのシステムは映画『駆込み女と駆出し男』を見ると分かりやすいでしょう。

 ちなみに寺社奉行と思われる縁切り寺の部分は現在ではお洒落なイタリアンレストランになっていました。今も多くの女性が訪れてるのかもしれない。。。

 なぜ天秀尼にかけこみ寺を公的な機関にする力があったかというのはその出自にあります。天秀尼は豊臣秀頼と妻の千姫の子どもではありませんが、養女として千姫の子になっています。この千姫(天樹院)は徳川秀忠と江の娘。つまり、徳川家康の孫にして、織田信長が大叔父というものすごい血筋です。
 そんな天秀尼と天樹院だからこそ、家康から直接かけこみ寺の公認をもらって公的なかけこみ寺とできたわけです。この二人は実際にかけこみ寺として大名すら中に入れずかけこんで来た女性を守っています。山田風太郎の『柳生忍法帖』はその時のことを舞台とした剣術小説です。

 アジールという言葉があります。自由領域などの訳がありますが、戦国時代の堺を想像すると一番ピンと来るでしょうか。どこの統治にも入らない自主独立した場所を指す言葉です。
 そういった意味ではかけこみ寺も確かにそうなのですが、実は江戸時代移行のかけこみ寺はどこの統治にもどころか立派な幕府の施設なのです。今でいえば公的な機関とNPOがタッグを組んでやってるようなものでしょうか。行政の支援を受けてやる福祉系NPOみたいな感じです。
 戦国時代にあった自治都市堺がその自治を表面上は失ったように、いわゆるアジールは江戸時代を機になくなっていきます。『おんな城主 直虎』の気賀もストーリーの中で自治都市ではなくなっていきました。

 かけこみ寺という言葉を使う時は、戦国時代以前のアジールをイメージしたものなのか、江戸時代の福祉的な場所をイメージしたものなのか、そのへんの区別は大事ではないかと思います。息苦しさから自由を求めて来る人にとってはアジールは救いの場ですが、困っている人が助けを求める場としてはアジールは基本的には機能しないことが多いでしょう。そのへんが混同されると悲劇が起こることも考えられます。

 かけこみ寺という言葉のイメージについて考えた元祖かけこみ寺、東慶寺散策でした。。。

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