シェアハウスから”新しい公共”を考える

 最近、”新しい公共”といった言葉や”共助”といった言葉が最近よく聞かれます。自助、共助、公助と分けると分かりやすいでしょうか。自分自身で何とかすると行政が何とかするの他に、助け合うとかNPOなどの非行政の団体が何とかするということを増やしていくという試みです。
 今はこの共助が盛んにもてはやされていますが、今回はそこをちょっと考えたいと思います。

 結論からいうと、共助や新しい公共は万能ではありません。
 老人宅に若者が住むことを支援している団体がいくつかあります。若者は安く住める、老人にも副収入と新しい刺激が手に入るといいことずくめです。生活を共にするのは家族だけではない新しい社会が来つつあると評価する人も多いかもしれません。
 確か以前に家族社会学の久保田裕之さんがこの件についてツイートしてたとしてたと思うのですが、この老人と若者の同居には大きな落とし穴があります。それは老人が自立して生活できているという前提だからです。もし、お年寄りが介護が必要になったら、同居している若者が介護をするのでしょうか? おそらくそれはほとんどないでしょう。家族なら介護する人が大半でしょう。しかし、新しい家族の形ともいえる形で同居してる人達は事情が変わってきます。

 実は新しい公共や共助こそ、公助を必要とするのです。
 従来の日本は家族が運命共同体となって支え合うことが前提になって公助が弱い状態でした。上に家族なら介護すると書きましたが、実際には今の日本は家族に介護の負担が大きすぎて問題になっています。
 新しい家族の形こそ、しっかりとした社会保障が必要なんですね。もし、充実した介護という社会保障があれば、家族以外の若者と老人のシェア生活もしやすいでしょう。介護が必要になれば同居者ではなく社会保障に頼ればいいのですから。
 NPOなどの新しい公共もそうです。公によるしっかりとした財源がなければ機能しません。

 新しい公共こそしっかりとした公共が必要なのです。決してそれだけで公共に変わるものではないのです。

 え、アイキャッチ画像はなんだって? 新しいヨージョー(GIジョーのかけ声)ですから。。。
  

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